2018年5月1日火曜日

かけある記 ある帰還者の声(2018年4月28日)

「ようやく700人になりました」
4月18日午後1時半、宮口副町長は帰還困難区域の津島地区拠点整備説明会の挨拶でそう話された。避難解除から一年、それが多いのか少ないのか、それぞれの受け止め方があると思う。

その日の午前11時ころ、私はある帰還者、Aさん(76歳)の自宅にいた。その方は「特例宿泊」の時からそのまま浪江にいた、というから「避難解除」を待ちわびていた一人である。見るからに元気そうで私の訪問を心から喜んでくれた。「血液サラサラの薬を飲んでいるので、ちょっとした傷をつけると血が止まらない」と平気で話していた。


「○○○という難病で○○薬を一生飲み続けなければならない、と医者に言われた」「軽い脳梗塞を二度ばかりやったが、右腕が少し上がらないぐらいで、車の運転もできるし、元気だよ」「仮設よりはいい、早く帰りたかった」と表情豊かに話してくれた。


傍らで奥さんがニコニコしながら話を聞いている。何よりの趣味は「庭いじり」だという。町の社協が月一くらいで訪問してくれるが、「近所には誰もいないので話し相手がいないのが寂しい、やっぱり人が恋しくなる」とも。「町の商業施設はオソマツすぎる。足りないもの、何かひとつ買うにも原町に行かないと…」「隣の集落に戻った人がいて、お風呂がないといっていた。我が家の風呂でもよいのだが、困ったな」「診療所にたいそう立派な胃カメラがあっても操作できないので、二週に一度○○先生が来るのを待たなければならない。病院掛け持ちの人は福島や二本松に戻った人がいる」。


原発事故の話になった。「家の中がバラバラになっちまった人が沢山さんいる。罪だよな」「山菜が目の前にあっても取って食えねえベー」「若い者は戻れないな」。話は止まない。私は午後の会議の時間が迫ってきた。再訪を約束して失礼したのです。


地域も、町も、人々も、「復興」にはまだまだ長い時間がかかるだろう。



南北首脳会談と友人の意見≪異見

昨日の午前、友人が自宅に来た。早速その話題になった。「何度も裏切ってきた北朝鮮を信用してよいのだろうか」。これまでのことを考えれば疑心暗鬼になるのも当然

私は「検証するには時間がかかるかもしれない。しかし二人は軍事境界線を越え、真摯に話し合ったことは事実。朝鮮戦争に終止符を打ち、平和協定の締結まで約束した。米国との関係もあり一直線にはゆかないかもしれない。」彼は半信半疑である。

「核をなくすといっているが、北の核兵器はどうなるのだろう」ともいう。当然である。私は「北の核兵器をなくすまでには大きな山がいくつもあるかもしれない。その一つが米朝首脳会談になると思うが、平和協定と一体のものとして「板門店宣言」で非核を宣言した。昨年7月の国連核兵器禁止条約を後押しすることにもなる」。「北の問題だけではない。国際世論で包囲しよう」と話した。

今回の会談の結果を実現するためにも日本政府の働きかけが重要になると思うのだが「アメリカ頼み」の外交ではまだまだ腰が引けている、といいたい。事実上、蚊帳の外である。

戦後73年。いま平和憲法が危ない。安倍政権は憲法9条に「自衛隊」を明記する方針をきめた。それは「九条」が「九条」でなくなるということである。

南北首脳会談は平和体制構築に舵を切った。心から歓迎すると同時に世界を読めない安倍政治を終結させよう