2017年11月28日火曜日

かけある記 議会全員協議会報告~11月13〜(2017年11月25日)

14日に議会全員協議会が開かれました。町長から帰還困難区域の「拠点整備計画」の提示とそれに対する質疑、また各課から復興の進捗状況について説明がありました。


●来年4月から浪江小・中学校再開教育委員会

新設小学校(なみえ創生小)★転・入学希望 3~5名
新設中学校(なみえ創生中)★転入学希望 1
一時預かり保育(11月から開始)★現在、1日2~3


という報告がありました。事故さえなければ、、、誰もが思うことでしょう。

●賠償問題など総合窓口課

<国・東電に浪江町長と富岡町長連名で家賃賠償継続を要望>(経済産業大臣、東電宛

福島県は8月末に「仮設住宅と借り上げ住宅の供与期間「延長」を決定。しかし、国・東電は来年3月で家賃賠償打ち切り方針を示しており、浪江・富岡町長は連名で供与期間延長に見合う家賃賠償継続の要望(東電には要求)をしたものです。

①東京電力の家賃賠償の終期を応急仮設住宅等の供与期間と同等とし、居住形態の違いによって不公平な賠償が生じないようにすること。

②借家に居住していた町民の「住居確保にかかる費用の賠償額」は、帰還または移住による賠償格差が生じないようにすること。

●ADR集団申し立て、打ち切りの可能性も!?

①申し立て約15000名のうち高齢者(75歳以上)1名のみ和解。
ア)その後、東電は数名のみについて、前回の和解内容とは異なる減額を提示。

イ)町側としては減額では和解できない旨、伝えた。(和解拒否)⇒要するに進行協議決裂


②今後の動向はどうなるのか?
ア)ADRの仲介委員による「打ち切り」の可能性もある(平成29118日の進行協議)

イ)打ち切りとなった場合には、議会への報告・説明や住民説明会、意向調査等の実施を考えている、との報告がありました。


<馬場議員談>避難当初から、「加害者である国・東電の全面賠償は当然。町が先頭に立ち集団申し立てを」と議会内外で奮闘してきました。平成255月、ついに集団申し立てへ。平成263月、ADRセンターが一人5万円(2年間)の和解案を提示。しかし東電は「中間指針から乖離している」として和解案を拒否。国も東電に対して和解案受諾について主導してきたとは考えられません。「賠償打ち切りなど、被災者に責任を負わない」という点では同罪であるといわなければならない。そいう政府が原発再稼働を「主導」するなど言語道断です。避難して7度目の冬を向える。生業再建はまだまだ遠い。町は一層町民に寄り添うべきです。
 

2017年11月19日日曜日

かけある記 チェルノブイリ報告②(2017年11月19日)

31年後の今も「復興・再生」の途上にある村

ナロージチ村の地域共同体長(首長に当たる人)、レオンチュークさんに聞く

私は「今、最も必要な政策と予算は何か」と尋ねた。「今、必要な予算と支援、政策は農業である」彼の答えである。健康・医療・教育・社会サポート(生活支援)等の予算が昨年より900万グリブナ(日本円で約3600万円)も減額されたため、必要な支援が出来ないでいるという。村の「議会」との関係も国からの予算をめぐり混乱が続いている。法案成立のためにあきらめない。厳しい状況がよくわかる。

再度、「村の復興と変革のためにこれから必要なことは」と尋ねた。「それは村の医療システムづくり・家庭医の常駐・道路に予算が必要ある。大統領もこの件に関しては考えている。外国(アメリカ)からの支援もある」と話してくれた。

最大の課題である土地利用と共同体の許可権限について「国の法律を変えない限りそれはできない。法案は昨年、国会で否決されたがこれからも法案成立のため我々の要望を国に求めてゆく。地域行政(議会)の存続の問題もある」と答えてくれた。

我々が言う「自治権の尊重」である。法案成立のために、彼らは再度立ち上がるという。「あきらめない」。お国柄を考えればその勇気はすごい。

31年後の今も混乱は続き、「復興・再生の途上にある」というのが現実の姿である。果たしてどれだけの住民が戻れるのだろうか。


最後に

チェルノブイリと福島。原発の本質的な危険を世界につきつけたのである。自然を破壊し、地域を消滅させ、人間の尊厳を奪ったという事実は人類史の汚点と言えよう。

総選挙で安倍政権は虚構の多数を得た。改憲発議につき走ろうとしている。許せない。今、福島と沖縄は憲法無視の最前線に追いやられている。

原発ゼロと核なき世界は万人の願いである。彼らはそれを野望というのだろうか。それもよし。抗いつつ野望を手にしなければならない。そして民意の届く国民のための政府を。私たちは避難者であると同時に主権者であるのだから。

私は人間として生きることを決してあきらめない。

2017年11月14日火曜日

かけある記 津島地区住民懇談会に約120名 意見沸騰(2017年11月12日)

11月1日、浪江町役場二本松大会議室で帰還困難区域の拠点整備計画について町長、宮口、本間副町長らが出席、「津島地区区長会主催」で懇談会が開かれました。馬場議員が町長に要望、実現したものです。町長は挨拶で、5年後に1マイクロ/h以下など拠点3条件を示した

拠点整備計画

Aさん①区長会の要望(5/30)にどう応えたのか。町はもっと早く説明会をやるべき。②エリアの線引きは住民の声を反映すべき。


Bさん/①津島(浪江)は一番遅れている。復興の気配が少しも見えない。町は本気になってやって欲しい。

Cさん/①3ステージに回されるところは、あと20年後になる。(前倒しで)②6年も放置。「道路の脇は山林だったのね」といわれた。保全管理をすべき。

Dさん/①エリアはいつ決定するのか。②農業再開する人がいない場合はどうなるのか。

Eさん/①資料P3に「比較的低い土地」とあるが、大熊町では土壌汚染で拠点計画づくりしている。②p7「小中学校再開」とある」。大熊町では子供を返すという方針はない。③土をどうするのか、農業をどうするのか。なにも示されていない。私は高齢だから帰ります。町は地に足をつけ、帰れる案を作ってほしい。

Fさん/今の政府のやり方では安心して戻れない。親が認知症。最期は津島で送らせたい。子供が安心して戻れる案を示してほしい。

Hさん/エリア面積を3%にした理由は。津島は1.5%、なぜか。

Eさん/避難解除後の税負担は町場と同じくなるのか。

町長/①計画骨子案である。詳しいことは今後協議する。②先ずはエリアを決めたい

宮口副町長/「優良農地を放置しておいてよいのか」と国に要望している。

安倍課長/①これから決める。②営農組合と相談する。

安倍課長/①、②皆さんと協議する。

本間副町長/国は5000ベクレル以下にするという方針です。

本間副町長/結果的にそうなった。国はそう言ってない。

安倍課長/同様になる。

国道114ゲート管理・携帯不通

Cさん/①ゲートで待たされる。5分で開けられるように増員を。②携帯も通じない。危機管理の問題である。

Bさん/夫婦で週一回帰っている。ゲートができてなかなか帰れない。鍵を代表の人に預けておけないか。

Gさん/R114はスマホが不通。交通事故など、緊急時に連絡できない。一番先に解決してほしい。

宮口副町長/今国と調整中である。

Bさん/難しい。

Bさん/来年携帯鉄塔2か所設置予定。非常時の有線電話、3カ所設置した。

その他

Cさん/今日の議事録をタブレットなどで公表を。

Iさん/399号、459号も通れるようにしてほしい。

最後に

高橋区長会長/これがスタート。今後、町に要望する。計画案に対する意見を出していただきたい。

宮口副町長/そのように進めている。



@そのほか沢山の意見が出されました。

かけある記 チェルノブイリ報告(2017年11月8日)

チェルノブイリ原発事故から31年が過ぎた。私は23年前(事故から8年後)に伊東達也さん(当時福島県議)らと視察調査に参加したことがある。今回のチェルノブイリ行きには二つの目的があった。

一つは原発事故でふるさとを追われた人々がどう生きてきたのか。サマショール(非居住地の自発的帰還者)の人々と心の交流をしたいということ。

二つは31年後の現地をこの目で見て、故郷を奪われた自分と津島を重ね合わせ、原発という、その非人道性を「現場」から告発したい、ということでした。

結論から言えばその目的を果たすことが出来たのではないかと思います。福島県農民連と友人、木村真三先生、通訳の五代さん、現地ガイドのセルゲイさんに心から御礼申し上げます。

31年後の叫びーー「バァーバは生きてるよー」 

オパチチ村(チェルノブイリ原発の東方、30キロゾーン内)のショウクータ·マリヤさん(89歳)宅を訪れたのは9月25日である。
小柄な、マリヤさんは一人暮らしである。大きな張りのある声で次のように話してくれた。

「以前は600人の村人がいてコルホーズ(旧ソ連の集団農場)で働いていた。ここに戻ってきた人は、150人程いたけれども今は自分一人である。95年(事故9年後)に森林火災があり村の半分が焼けてしまった。『寂しくないですか』と私。『寂しくないよ。下に森林調査員がいる。そこに遊びに行くんだ』と。本当は寂しいに違いない。荒涼たる森林の中である。煙突のある小さい粗末な家の横には小屋があり、越冬用の薪が積まれていた。約20アールほどの畑がある。畑には葉ワサビ(のような)と、獲り残しのカボチャ、枯れたトウモロコシが少し残っているだけで、収穫を終えた砂壌土の畑はきれいに除草されていた。バァーバはきっと働き者に違いない。

東京新聞の坂本記者が『原発事故がなかったら人生が違っていましたか』と問う。彼女は、こう答えた。『友達がいっぱいいた。牛も豚もいた。事故が起こってここを離れた。』すべてを断ち切られた想いが込み上げたのだろうか、彼女は涙を拭いていた。

最後に私はマリヤさんに『いま一番言いたいことは何ですか』と聞いた。帰ってきた答えは『バーバは生きてるよ』だった。今でも耳に残っている。生き延びた、いや精いっぱい生きてきた人間の叫びが私の心に響いた。

89歳、一人で耐えて今日まで生きてきたマリヤさん。彼女とハグをして別れた。彼女は草覆われ、やっと轍が見える家のそばの道端に立ち、小さくなるまで見送ってくれた。


私は求めたい。傲慢な原子力政策を推進してきた国と東京電力は、原発事故を防止し得なかった政治的、社会的、法的責任を認め、原発事故のすべての被害に対し、責任を負うこと。

2017年11月3日金曜日

かけある記 あーした 天気に なぁーれ(2017年11月1日)

今日から11月、寒い。一昨日は安達太良の中腹まで雪化粧したのには驚いた。「雪待ち月」とはよく名付けたものである。

それにしても心配だ。農家にとって10月は体もきついが、豊かな実りは至福の時である。今年は8月の天候不順もなんとか乗り越え、近所の農家の人も「まぁまぁの出来だない」といっていた。コメの価格も気になるが、秋風に揺れる実りの稲穂は何よりも農家の心を膨よかにしてくれるものだ。

ところが10月に入って二つの台風が列島縦断。田圃にも入れず、日々悪戦苦闘している様子が百姓の自分にはよくわかる。刈り取りできない稲があちこちの田圃に残っている。こうも雨の日が続いてはいくらコンバインでもお手上げというもの。これまでおれも何度か冷害や、台風で収穫の喜びを手に出来ないときもあった。

農業つぶしの農政に抗い、「残酷すぎる試練」と向き合う百姓は歯を食いしばって頑張っているのだ。あれから7年。すべてを狂わせた原発事故。俺には耕す一枚の田圃も畑もない。無残にも荒れ果てている。悔しい。俺は原発ゼロをあきらめない。


議会報告(9月議会/馬場績議員・一般質問)

▶︎建物解体受付の締め切りの延長を国に求めよ

避難解除後の町民の帰還の実態は7月末現在、186世帯、264人、解除地区住民が1万5105人で、わずか1.5%でしかありません。今後の帰町人口の見通しが不透明であることは誰もが認めざるを得ない現実であると思います。

ところが「住民帰還を阻害する」というのが、解体締め切りの環境省の理由であるとも説明されました。果たしてそうでしょうか。帰還した人もしない人も共通する悩みは「買い物や」「医療」「放射線に対する不安」であることはご承知の通りであります。

要するに「帰りたいけど帰れない」、そこに追い込まれているのが町民であり、原因は原発事故そのものであります。町民が帰還に悩んでいるのに、責任を負うべき政府が、「帰還の阻害要因」などというのは被災の現実と被災者の人権をことごとく否定するものであり、看過できないない暴論といわなければなりません。

①環境省が町に提示された避難指示解除後一年、即ち平成30年3月31日で解体申し込みを締め切る方針は延長見直しを求めるべき考えます。町の対応についてお答えください。

住民課長〉避難指示解除後の申請については環境省解体の対象外となっており、これまで避難解除した市町村においては避難指示解除と同時期に受付を終了しております。浪江町は全域避難を余儀なくされており、平成303月まで受け付けを延長しているということであります。