2018年3月13日火曜日

賠償打ち切りに不安 しんぶん赤旗3/10付

「買い物できず。医療・介護も不十分」

避難指示解除・支援継続を

東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされ、昨年3月に帰還困難区域以外の避難指示が解除された福島県浪江町ー。避難指示解除に伴い3月末で月10万円の賠償が打ち切られる中で、被災者から継続を求める声が上がっています。(記者・伊藤佑亮)

帰還困難区域にあたる地域で米や大豆、和牛などを育て生計を立てていた今野栄次さん(67)は須賀川市で家族7人暮らしです。
原発事故で牛を手放しました。「牛たちとずっと生活してきたから涙が流れるばかりだ。今でも思い出すと涙が出てくる」と悔しさをにじませます。
紺野さんは「震災以前は肉、魚、しょうゆしか買わずに生活ができたのが今はなんでも買うようになった、浪江の人は賠償金もらっているからいい生活をしていると思われがちだが、賠償金は生活費ですぐなくなってしまう」と強調します。









医療費減免は

医療費無料措置が継続されるのかどうかも心配の種です。
二本松の復興公営住宅で、夫と高校生の娘と3人で暮らす松本孝子さん(54)は避難後、夫婦で糖尿病になりました。運送会社で仕事をしていましたが、震災で失職。月9万円の収入もなくなりました。
現在はインスリンを打って仕事をする夫の収入と賠償金、医療費の免除が生活の支えです。「仕事を探しましたが足が悪く働けません。この先、医療費の免除がなくなれば、生活が立ち行かなくなる」と訴えます。
2017年に町が行なった住民意向調査では「すぐに・いずれ帰還したい」が13.5%。「帰還しないと決めている」が49.5%にのぼり、帰還した町民は516人(2月末現在)。高齢者や町役場に勤める人が大半です。

商店街が解体

町ではスーパーなどの商業施設や労働環境のシビに向けて誘致活動を行い、81事業所が営業を再開しています。一方、JR浪江駅周辺の商店街は建物の解体が進みガラス戸が壊れ、壁が放火押した建物が今も残ります。
帰還した住民から野菜などを買うスーパーや歯科、眼科などの専門の医療機関を求める声が相次いでいます。
浪江駅で電車を待っていた女性(83)は先月、群馬県桐生市から町に戻ったばかりだといいます。「町がこんなにひどいとは思わなかった。生鮮食料も服も買えない。お店ならなんでもほしい」と話していました。
駅前の放射線モニタリングポストは、平時における一般人の年間被ばく線量の上限にあたる毎時0.23マイクロシーベルトを示していました。
国は当面、帰還困難区域に「復興拠点」(地域のごく一部)を設け、区域内の除染を行なって2023年3月までに解除をめざしています。











日本共産党の馬場績(いさお)町議はいいます。
「避難指示解除は国の解除ありきで進められたもの。買い物もできない。医療や介護は不十分で町民が安心して暮らせる環境にはなっていない。被害や損害が続く限り賠償は続けるべき。それが原発を国策で進めてきた国や東電の責任だ」