2017年12月21日木曜日

かけある記 変わり果てた我が家を見る…(2017年12月16日)

定例議会が終わった翌日の12月14日。
「帰還困難区域の取材」のために、東京新聞坂本記者を案内した。

前日の雪が残る国道114号線川俣・山木屋を通過。日差しはあるが寒い。国道114号は9月20日から『復興加速』のために自由通行になった。

しかし、帰還困難区域の津島地区は全ての枝線が封鎖されている。警備会社の係員二人がすでにゲートNO77(瀬賀商店前)の前で我々を待っていた。カギを開け、我々の通過と同時に再びゲートは封鎖された。まるで「檻」の中に入れられたようだ。昨夜の雪がそのまま。足跡一つない白い道だけがある。つぶれかけた家屋がある。

途中、「幸輪商店」の屋根に10匹ぐらいのサルの一群がいた。オスサルが我々をにらみつけ、逃げようともしない。想像もつかない風景である。

避難患者で行列ができた津島診療所、一家族1~2ケのおにぎりを配給した小学校にも立ち寄る。グラウンドは枯草に覆われ、「沈黙の風景」が続く。われわれに何を語りかけているのだろうか、、、。

出口は津島中学校前、先ほどの係員が先回りしてゲートのカギを開けてくれた。

我が家に到着。数カ月に一度立ち寄ってはいたが、家の中に入るのは昨年の秋以来である。

家の中を見て唖然とした。野生動物の仕業であることは一目瞭然。神棚の下の造り茶タンスもひっくり返っている。印刷機のインキを食べ物と思ったのか、それをかき出し、周り一面「黒いアシアト」だらけ。どこもここも、ここまで荒らすのかと思うほど荒らされている。

あきれ果て、ため息も出ない。荒れ続ける故郷。浪江町は避難解除されたが帰還は440人。荒れ放題の帰還困難区域。『復興加速』の陰にある二つの影。

『復興』の前に人間の尊厳を返せ!!!


12月議会・私の一般質問から

帰還困難区域・整備計画の前倒しと除染先行を求める
「拠点整備計画」の基本的問題の見直しについては述べてきたとおりであります。

同時に全体計画の前倒しのためにも比較的線量の低いところ、例えば羽附地区や南津島など除染を先行させることであります。

徐々に他の地区にも先行除染を拡大してゆけば、第3ステージの終期、20353月、あと18年も待たずして再生の道は開かれるでしょう。

そのころ、私は現世から離れるかもしれません。整備計画の前倒しと先行除染こそ「廃村・棄民政策」から脱却するということになります。

そうしてこそ、ふるさとを残し、帰りたい人が生きているうちに帰ることが現実に可能となるのではないでしょうか。お答えください。

【企画財政課長】拠点外の保全管理については、引き続き国に対策を求めてまいります。