2017年12月30日土曜日

かけある記 予算少額では業界団体に顔向けできない!?(2017年12月22日)

12月20日、ここまで言うか、というほど「驚き」の記事を読んだ。

「迫真・改革なき税予算 -2- もっと吹かさないと」(12/20日経新聞コラム)である。「財政出動をもっとやれ」という安倍首相。記事は続く。
10月の衆院選で自民議員の多くが業界団体の支援を受け…予算が少額では顔向けできない。そう感じ取った自民党二階幹事長が福田財務省事務次官に増額を電話で要求。(公共事業)1兆円の大台に乗せる方針が固まった。」とある。
政権を揺るがした「森・加計」問題は行政の私物化が問われ、国民の怒りは未だ収まらない、のにである。

庶民の暮らしはどうか。厚労省は来年10月から、介護保険の「生活援助」の利用回数を制限しようとしている。高齢者や一人暮らしの介護認定者にとっては「生きるため」に必要な介護サービスです。社会保障審議会など寄って集って「給付削減」を盛り込むなどあってはならないことでしょう。
人権のバロメーターである生活保護削減も大問題です。総事業費9兆円超のリニア中央新幹線建設工事入札談合の疑いなど、国民に顔向けできないのが安倍政権そのものです。「ミサイル防衛」より貧困・格差是正を。

『空洞化と属国化』(坂本雅子著)は時代の転換を説いている。


12月議会・私の一般質問から

家賃賠償の継続と仮設住宅入居閉鎖問題を問う

質 問 仮設住宅と借り上げ住宅の供与期間は、平成31年3月までさらに1年間延長されました。浪江町の10月末仮設住宅入居者は441戸766人、借り上げ住宅1,371戸に2,587人の町民が生活しています。国・東電は家賃賠償継続要望に全面的に答えるべきです。町・県の今後の対応はどうされますか。

生活支援課長 仮設住宅の供与期間延長と家賃賠償の期間を同一期間とするよう国・県・東電に要望しました。


質 問 供与期間の延長や家賃賠償継続要望の一方、町は仮設住宅閉鎖など、強制立ち退きともいえる「退去手続き」通知を出した問題です。現在入居者がいるのに浄化槽や電気・水道などの使用停止期限の通告はあまりにも機械的、人権問題であるという認識はあるのかお答えください。

生活支援課長 入居者の同意を得たうえで使用停止を通知しています。現在まで259世帯に退去通告を出しました。

2017年12月21日木曜日

かけある記 変わり果てた我が家を見る…(2017年12月16日)

定例議会が終わった翌日の12月14日。
「帰還困難区域の取材」のために、東京新聞坂本記者を案内した。

前日の雪が残る国道114号線川俣・山木屋を通過。日差しはあるが寒い。国道114号は9月20日から『復興加速』のために自由通行になった。

しかし、帰還困難区域の津島地区は全ての枝線が封鎖されている。警備会社の係員二人がすでにゲートNO77(瀬賀商店前)の前で我々を待っていた。カギを開け、我々の通過と同時に再びゲートは封鎖された。まるで「檻」の中に入れられたようだ。昨夜の雪がそのまま。足跡一つない白い道だけがある。つぶれかけた家屋がある。

途中、「幸輪商店」の屋根に10匹ぐらいのサルの一群がいた。オスサルが我々をにらみつけ、逃げようともしない。想像もつかない風景である。

避難患者で行列ができた津島診療所、一家族1~2ケのおにぎりを配給した小学校にも立ち寄る。グラウンドは枯草に覆われ、「沈黙の風景」が続く。われわれに何を語りかけているのだろうか、、、。

出口は津島中学校前、先ほどの係員が先回りしてゲートのカギを開けてくれた。

我が家に到着。数カ月に一度立ち寄ってはいたが、家の中に入るのは昨年の秋以来である。

家の中を見て唖然とした。野生動物の仕業であることは一目瞭然。神棚の下の造り茶タンスもひっくり返っている。印刷機のインキを食べ物と思ったのか、それをかき出し、周り一面「黒いアシアト」だらけ。どこもここも、ここまで荒らすのかと思うほど荒らされている。

あきれ果て、ため息も出ない。荒れ続ける故郷。浪江町は避難解除されたが帰還は440人。荒れ放題の帰還困難区域。『復興加速』の陰にある二つの影。

『復興』の前に人間の尊厳を返せ!!!


12月議会・私の一般質問から

帰還困難区域・整備計画の前倒しと除染先行を求める
「拠点整備計画」の基本的問題の見直しについては述べてきたとおりであります。

同時に全体計画の前倒しのためにも比較的線量の低いところ、例えば羽附地区や南津島など除染を先行させることであります。

徐々に他の地区にも先行除染を拡大してゆけば、第3ステージの終期、20353月、あと18年も待たずして再生の道は開かれるでしょう。

そのころ、私は現世から離れるかもしれません。整備計画の前倒しと先行除染こそ「廃村・棄民政策」から脱却するということになります。

そうしてこそ、ふるさとを残し、帰りたい人が生きているうちに帰ることが現実に可能となるのではないでしょうか。お答えください。

【企画財政課長】拠点外の保全管理については、引き続き国に対策を求めてまいります。



2017年12月11日月曜日

かけある記 Have A Merry Christmas(2017年12月10日)


Sさんからハガキが届いたのは質問原稿作成中だったから、多分12月2日頃だったと思う。
サンタさんが大きな袋を抱えた、あの絵柄である。いくつになってもうれしものである。お礼のメールだけでもと思いながら、失礼のままである。
「私は、○○の仮設で、復興住宅ができるまで冬眠しています。」と、一言書かれていた。今年の10月、仮設から仮設への「転居」を余儀なくされた。仮設住宅に入る前も3度4度と避難先を「移動」してきたのに、である。
そして今年の5月、やっと5度目の応募で復興住宅に「当選」した方である。『なんで私がこんな目に合わなければならないのか』と嘆いてもいた。

復興住宅の完成時期もまだ連絡がないという。

にこやかなサンタの絵模様が私の心に突き刺さってくる。

早く復興住宅に入れますように。

Merry Christmas TYOU TOO!


12月議会・私の一般質問から

帰還困難区域の拠点整備・除染計画の問題線路のないところに電車を走らせる?〜


「拠点区域」の範囲について

①5年以内に1μ㏜/h以下(年間5m㏜)になるところ
②居住促進ゾーンの範囲は帰還や土地利用見込み等により決定する
農業再開ゾーンは農業再開見込みにより決定する

とあります。

それは目標なのか、認定の条件なのか。もし「認定の条件」であるとするならば、その条件を満たさなければ「何もできない」ということになるではありませんか。問題の根本は何かということです。強制避難を余儀なくされたそもそもの原因を排除する、そのためには先ず除染をする、そして原状回復へ接近する。それが「福島復興再生」の最低限の責任ではありませんか。
最初から3つの条件を持ち込み、それを満たさなければ「出来ない」ということになれば、なにもしないで、「線路のないところに電車を走らせる」ということになる。とんでもありません。7年も待ち続け、これからも待たなければならない帰還困難区域の住民の心に応える最低限の責任ではありませんか。
町はそれをあくまで代弁し「再生を希望する」困難区域の願いに応えるべきであり、「目標」とすべきであります。町長に答弁を求めます。

[企画財政課長]福島復興再生特措法の「特定復興拠点整備計画」の認定条件に規定されております。

2017年12月5日火曜日

かけある記 12月議会が始まります(2017年12月3日)


浪江町議会12月議会は125日から13日までの日程です。馬場議員の一般質問は6日(水)午前の予定です。

主な質問項目


1、帰還困難区域の拠点整備経過と諸問題について

(1)拠点整備計画について
 ①拠点区域の面積拡大の方針を問う。
 ②なぜ帰還困難区域だけが「帰還」や「土地利用見込みが認定の条件なのか、目標であるべき。
(2)地域整備と保全管理について
 ①保全管理の責任と事業計画を問う。

2、賠償継続及びADR申立について

(1)家賃賠償の継続要望について
 ①仮設住宅及び借り上げ住宅供与期間延長と賠償継続の今後の対応について
(2)福島地裁「生業判決」について
 ①国・東電の法的責任と「中間指針」を上回る判決に対する見解は。
 ②ADRの進行協議と今後の対応は。

3、生活再建の実態と仮設住宅閉鎖・退去期日通知について

(1)生活再建の実態について
 ①就労・無職などの実態把握について問う。
(2)県の期間延長と仮設住宅入居強制立ち退きについて
 ①(入居者のいる)共用施設設備の使用停止は人権問題と認識しているか、問う。

4、介護在宅サービス外しについて

(1)「要介護1・2」の保険外しについて
 ①町民の利用実態と国の制度改悪中止を求めるか問う。

5、政治認識について

(1)自衛隊明記と安倍改憲の認識を問う。
(2)国連の核兵器禁止条約署名を国に求めるか問う。


✓✓新聞記者 望月衣塑子を読む

東京新聞社会部記者、あの望月衣塑子である。1010日初版、発売されて日はまだ浅い。
「事件記者」と自らを紹介している。失礼な言い方かもしれないが、兎に角面白い。一気に読んだ。両親のことや自分の生い立ちも書かれていて、「にんげん 望月衣塑子」を読む人にイメージさせる。笑ってしまったのは留学先のメルボルン大学での出来事である。『ダイブできる湖があり…5メートルくらいのところから…飛び降りる前に、足を滑らせ真っ逆さまに転落。』絶対安静の大けがをしたことがあるなどと、あっけらかんに書いている。
日本歯科医師連盟のヤミ献金スクープの裏話も面白い。「忖度」とは無縁の立場を貫く彼女である。ヤマ場は何といっても菅官房長官の記者会見取材である。「東京新聞の望月です」は、すっかり有名になったが、その舞台裏は「真剣勝負」である。政府垂れ流しのマスコミ界に、一石を投じた彼女。信頼できる友人記者もいるという。私も彼女を信頼したい。

2017年11月28日火曜日

かけある記 議会全員協議会報告~11月13〜(2017年11月25日)

14日に議会全員協議会が開かれました。町長から帰還困難区域の「拠点整備計画」の提示とそれに対する質疑、また各課から復興の進捗状況について説明がありました。


●来年4月から浪江小・中学校再開教育委員会

新設小学校(なみえ創生小)★転・入学希望 3~5名
新設中学校(なみえ創生中)★転入学希望 1
一時預かり保育(11月から開始)★現在、1日2~3


という報告がありました。事故さえなければ、、、誰もが思うことでしょう。

●賠償問題など総合窓口課

<国・東電に浪江町長と富岡町長連名で家賃賠償継続を要望>(経済産業大臣、東電宛

福島県は8月末に「仮設住宅と借り上げ住宅の供与期間「延長」を決定。しかし、国・東電は来年3月で家賃賠償打ち切り方針を示しており、浪江・富岡町長は連名で供与期間延長に見合う家賃賠償継続の要望(東電には要求)をしたものです。

①東京電力の家賃賠償の終期を応急仮設住宅等の供与期間と同等とし、居住形態の違いによって不公平な賠償が生じないようにすること。

②借家に居住していた町民の「住居確保にかかる費用の賠償額」は、帰還または移住による賠償格差が生じないようにすること。

●ADR集団申し立て、打ち切りの可能性も!?

①申し立て約15000名のうち高齢者(75歳以上)1名のみ和解。
ア)その後、東電は数名のみについて、前回の和解内容とは異なる減額を提示。

イ)町側としては減額では和解できない旨、伝えた。(和解拒否)⇒要するに進行協議決裂


②今後の動向はどうなるのか?
ア)ADRの仲介委員による「打ち切り」の可能性もある(平成29118日の進行協議)

イ)打ち切りとなった場合には、議会への報告・説明や住民説明会、意向調査等の実施を考えている、との報告がありました。


<馬場議員談>避難当初から、「加害者である国・東電の全面賠償は当然。町が先頭に立ち集団申し立てを」と議会内外で奮闘してきました。平成255月、ついに集団申し立てへ。平成263月、ADRセンターが一人5万円(2年間)の和解案を提示。しかし東電は「中間指針から乖離している」として和解案を拒否。国も東電に対して和解案受諾について主導してきたとは考えられません。「賠償打ち切りなど、被災者に責任を負わない」という点では同罪であるといわなければならない。そいう政府が原発再稼働を「主導」するなど言語道断です。避難して7度目の冬を向える。生業再建はまだまだ遠い。町は一層町民に寄り添うべきです。
 

2017年11月19日日曜日

かけある記 チェルノブイリ報告②(2017年11月19日)

31年後の今も「復興・再生」の途上にある村

ナロージチ村の地域共同体長(首長に当たる人)、レオンチュークさんに聞く

私は「今、最も必要な政策と予算は何か」と尋ねた。「今、必要な予算と支援、政策は農業である」彼の答えである。健康・医療・教育・社会サポート(生活支援)等の予算が昨年より900万グリブナ(日本円で約3600万円)も減額されたため、必要な支援が出来ないでいるという。村の「議会」との関係も国からの予算をめぐり混乱が続いている。法案成立のためにあきらめない。厳しい状況がよくわかる。

再度、「村の復興と変革のためにこれから必要なことは」と尋ねた。「それは村の医療システムづくり・家庭医の常駐・道路に予算が必要ある。大統領もこの件に関しては考えている。外国(アメリカ)からの支援もある」と話してくれた。

最大の課題である土地利用と共同体の許可権限について「国の法律を変えない限りそれはできない。法案は昨年、国会で否決されたがこれからも法案成立のため我々の要望を国に求めてゆく。地域行政(議会)の存続の問題もある」と答えてくれた。

我々が言う「自治権の尊重」である。法案成立のために、彼らは再度立ち上がるという。「あきらめない」。お国柄を考えればその勇気はすごい。

31年後の今も混乱は続き、「復興・再生の途上にある」というのが現実の姿である。果たしてどれだけの住民が戻れるのだろうか。


最後に

チェルノブイリと福島。原発の本質的な危険を世界につきつけたのである。自然を破壊し、地域を消滅させ、人間の尊厳を奪ったという事実は人類史の汚点と言えよう。

総選挙で安倍政権は虚構の多数を得た。改憲発議につき走ろうとしている。許せない。今、福島と沖縄は憲法無視の最前線に追いやられている。

原発ゼロと核なき世界は万人の願いである。彼らはそれを野望というのだろうか。それもよし。抗いつつ野望を手にしなければならない。そして民意の届く国民のための政府を。私たちは避難者であると同時に主権者であるのだから。

私は人間として生きることを決してあきらめない。

2017年11月14日火曜日

かけある記 津島地区住民懇談会に約120名 意見沸騰(2017年11月12日)

11月1日、浪江町役場二本松大会議室で帰還困難区域の拠点整備計画について町長、宮口、本間副町長らが出席、「津島地区区長会主催」で懇談会が開かれました。馬場議員が町長に要望、実現したものです。町長は挨拶で、5年後に1マイクロ/h以下など拠点3条件を示した

拠点整備計画

Aさん①区長会の要望(5/30)にどう応えたのか。町はもっと早く説明会をやるべき。②エリアの線引きは住民の声を反映すべき。


Bさん/①津島(浪江)は一番遅れている。復興の気配が少しも見えない。町は本気になってやって欲しい。

Cさん/①3ステージに回されるところは、あと20年後になる。(前倒しで)②6年も放置。「道路の脇は山林だったのね」といわれた。保全管理をすべき。

Dさん/①エリアはいつ決定するのか。②農業再開する人がいない場合はどうなるのか。

Eさん/①資料P3に「比較的低い土地」とあるが、大熊町では土壌汚染で拠点計画づくりしている。②p7「小中学校再開」とある」。大熊町では子供を返すという方針はない。③土をどうするのか、農業をどうするのか。なにも示されていない。私は高齢だから帰ります。町は地に足をつけ、帰れる案を作ってほしい。

Fさん/今の政府のやり方では安心して戻れない。親が認知症。最期は津島で送らせたい。子供が安心して戻れる案を示してほしい。

Hさん/エリア面積を3%にした理由は。津島は1.5%、なぜか。

Eさん/避難解除後の税負担は町場と同じくなるのか。

町長/①計画骨子案である。詳しいことは今後協議する。②先ずはエリアを決めたい

宮口副町長/「優良農地を放置しておいてよいのか」と国に要望している。

安倍課長/①これから決める。②営農組合と相談する。

安倍課長/①、②皆さんと協議する。

本間副町長/国は5000ベクレル以下にするという方針です。

本間副町長/結果的にそうなった。国はそう言ってない。

安倍課長/同様になる。

国道114ゲート管理・携帯不通

Cさん/①ゲートで待たされる。5分で開けられるように増員を。②携帯も通じない。危機管理の問題である。

Bさん/夫婦で週一回帰っている。ゲートができてなかなか帰れない。鍵を代表の人に預けておけないか。

Gさん/R114はスマホが不通。交通事故など、緊急時に連絡できない。一番先に解決してほしい。

宮口副町長/今国と調整中である。

Bさん/難しい。

Bさん/来年携帯鉄塔2か所設置予定。非常時の有線電話、3カ所設置した。

その他

Cさん/今日の議事録をタブレットなどで公表を。

Iさん/399号、459号も通れるようにしてほしい。

最後に

高橋区長会長/これがスタート。今後、町に要望する。計画案に対する意見を出していただきたい。

宮口副町長/そのように進めている。



@そのほか沢山の意見が出されました。

かけある記 チェルノブイリ報告(2017年11月8日)

チェルノブイリ原発事故から31年が過ぎた。私は23年前(事故から8年後)に伊東達也さん(当時福島県議)らと視察調査に参加したことがある。今回のチェルノブイリ行きには二つの目的があった。

一つは原発事故でふるさとを追われた人々がどう生きてきたのか。サマショール(非居住地の自発的帰還者)の人々と心の交流をしたいということ。

二つは31年後の現地をこの目で見て、故郷を奪われた自分と津島を重ね合わせ、原発という、その非人道性を「現場」から告発したい、ということでした。

結論から言えばその目的を果たすことが出来たのではないかと思います。福島県農民連と友人、木村真三先生、通訳の五代さん、現地ガイドのセルゲイさんに心から御礼申し上げます。

31年後の叫びーー「バァーバは生きてるよー」 

オパチチ村(チェルノブイリ原発の東方、30キロゾーン内)のショウクータ·マリヤさん(89歳)宅を訪れたのは9月25日である。
小柄な、マリヤさんは一人暮らしである。大きな張りのある声で次のように話してくれた。

「以前は600人の村人がいてコルホーズ(旧ソ連の集団農場)で働いていた。ここに戻ってきた人は、150人程いたけれども今は自分一人である。95年(事故9年後)に森林火災があり村の半分が焼けてしまった。『寂しくないですか』と私。『寂しくないよ。下に森林調査員がいる。そこに遊びに行くんだ』と。本当は寂しいに違いない。荒涼たる森林の中である。煙突のある小さい粗末な家の横には小屋があり、越冬用の薪が積まれていた。約20アールほどの畑がある。畑には葉ワサビ(のような)と、獲り残しのカボチャ、枯れたトウモロコシが少し残っているだけで、収穫を終えた砂壌土の畑はきれいに除草されていた。バァーバはきっと働き者に違いない。

東京新聞の坂本記者が『原発事故がなかったら人生が違っていましたか』と問う。彼女は、こう答えた。『友達がいっぱいいた。牛も豚もいた。事故が起こってここを離れた。』すべてを断ち切られた想いが込み上げたのだろうか、彼女は涙を拭いていた。

最後に私はマリヤさんに『いま一番言いたいことは何ですか』と聞いた。帰ってきた答えは『バーバは生きてるよ』だった。今でも耳に残っている。生き延びた、いや精いっぱい生きてきた人間の叫びが私の心に響いた。

89歳、一人で耐えて今日まで生きてきたマリヤさん。彼女とハグをして別れた。彼女は草覆われ、やっと轍が見える家のそばの道端に立ち、小さくなるまで見送ってくれた。


私は求めたい。傲慢な原子力政策を推進してきた国と東京電力は、原発事故を防止し得なかった政治的、社会的、法的責任を認め、原発事故のすべての被害に対し、責任を負うこと。