2017年4月11日火曜日

かけある記 2017年3月12日号 福島の6年ーーそして浪江

福 島 の 6 年ーーーそして浪江

 3・11の昨日は海が一望できる大平山霊園墓地での慰霊碑除幕式、その後「6周年追悼式」に参加。400名(浪江町17年2月末)もの災害関連死を含め、改めて原発事故の悲劇を深く考えさせられた。
 昨日の帰途、ある復興公営住宅に寄ってきた。津島にいた時からよく知る方である。「家内はここに入ることもなく仮設住宅から入院した。オレも86歳、一人暮らしで寂しい」。椅子を使わないと話もできないほど腰が深く曲がっていた。「何でここにいなくちゃなんねえんだべ。オレは帰りたい」、と続けた。自分は「帰還困難区域」で全く先が見えないことへの惜しさと淋しさをにじませ、床を見たまま話し続けたのである。「早く帰りたいよね」と僕は返事した。

「避難解除」は英断?? 

老男性は続けた。「家にいればコメでも野菜でも作って生活できたのに、ここにいては何の張り合いも楽しみもない」、「町は避難解除決めたようだがみんな元の生活出来んだべか」と避難解除に懐疑的である。『町残し』の前に先ず「町民の生業、奪われた生活が元に戻ること」と彼は言いたいのである。追悼式で吉田自民県連幹事長は避難解除を「馬場町長の英断」と称賛されたが、県内外10箇所の住民懇談会の声は届いているのだろうか。

「解除」の現実はどうか。「支援解除」とセットで進められている

去る3月3日、政府(原子力現地災害対策本部)は浪江町に対し29年3月31日に避難指示を解除する旨文書で通知した。一昨年6月12日に政府は帰還困難区域を除く避難解除を「遅くとも平成29年3月末まで」とする方針を決定。同時に「精神的慰謝料は30年3月で終了する」とした。これは飯館村、葛尾村、川俣町山木屋、富岡町、浪江町など次々と避難解除が「連打」されたことを見れば政府の筋書き通り、「決め打ち」そのものといえる。そうでないというなら政府は閣議決定を見直し、安心して生活できる除染の徹底と賠償、被災者の命綱である住宅支援も、医療・介護も長期継続を明言すべきである。



浪江町議会が国・県・県議会・東電に要望を決める。

3月8日の議会全員協議会で、避難指示解除を受け、関係機関に以下の要望をすることで以下の要望事項を協議、提出することを決めました。


1 復旧・復興の加速(10項目) 
2 生活支援と医療・健康(8項目)
3 損害の適切な賠償(2項目)
4 県内原子炉全基廃炉(3項目)


5 原発被災自治体再生のための支援(3項目)