2017年4月11日火曜日

かけある記 2017年3月5日号 原発避難解除と『町のこし』


原発避難解除と『町のこし』

 馬場町長は2月27日に開かれた議会全員協議会で、『町残しのために避難解除は必要だ』、『町の復旧のメドはついた』、「3月31日の避難解除を容認する」とあらかじめ用意していた原稿を読み上げた。私はその場でも「避難解除は時期尚早。容認すべきでない」とハッキリ町長に指摘。原子力災害現地本部にも「撤回」を求めた。その日、NHK・「はまなかあいづ」を見たとの電話をいただいた。ほとんどのマスコミは異論を伝えていない。浪江の現状は「子供のため、家族のため」、帰りたいけど帰れない、と悩んでいる町民が多数である。(懇談会アンケート)『町残しと』とは窮刻の「異論封じ」であり、原発避難の本質を見えなくすることでもある。
『町残し』の前に原発避難の自由と権利は「子ども・被災者支援法」の認めるところである。

「復興の加速化」とは避難解除なのですか?
 正直、1月末から県内外で行われた10回の住民懇談会の意味は何であったのかと、私は考えてしまう。町長はこうも話した。「そろそろモード切り替え、全力で復興に進む時期だ」と。あえて一言、言わなければならない。全町避難から丸6年。除染後もまだ高い放射線量、買い物の極端な不便、医療・介護の不安。作業ダンプが頻繁に行き交い、各地で建物解体が行われ、「砂とホコリと放射能が飛び回る」、後を絶たないイノシシ被害、除染の汚染袋があちこちの空間を占領している。果たして町民が安心して戻れる状況でないことは明らか。議会傍聴に来た人から「医療費免除は9月までという連絡があった。避難は続くと思う。解除されると支援は打ち切りになるのか?」と心配の電話をいただいた。自主避難者を含むみなし仮設住宅支援打ち切り、避難者の営業・農業・精神的賠償の打ち切りが「大型プロジェクト=復興の加速=避難解除」と連動(鼻先の人参?)して推し進められている、というのが本質であることは明らかだと思います。

県立浪江高校・津島校(分校)―――3月1日・在校生のいない卒業式

 これまで数多くの卒業式に出席してきましたが、今回ほど悔しくて悲しい卒業式に臨んだことはない。晴れの門出が「休校式」と同時に行われたのである。3月1日、私は津島校(分校)の同窓会長として休校式のあいさつに立った。津島校(分校)は帰還困難区域にあり、再開の見通しがない。
 「未来に向かって旅立つ卒業生の前で、休校のあいさつをするのは正直つらいです、悔しいです、、」私は挨拶に詰まった。続けた。「津島校には君たちの弾ける青春と躍動があったに違いない。(続く後輩がいないのは)残念です。しかしあきらめることはできません。この場で「もう断念してくれ」とは口が裂けても言えない。故郷を返せ、と言いたい。いずれの日にか、校舎の正面に凛として立つ「飛翔」の記念碑の前で必ず再開しよう」というのが精いっぱいであった。同窓会長としての最後のあいさつになった。3/4横浜市立歴史博物館で「原発避難6年・現状と問題」を報告
 NPO法人「結ぶ」の依頼でお話をしてきました。いじめの問題では原発事故の加害者責任が明らかにされていない構造的な問題、避難解除の問題など話してきました。